機内で観た映画

出張の帰りの飛行機の中で、久しぶりに邦画を見た。 普段絶対に見ないのだけど(昔は映画散々見たけど、今はほとんど時間の無駄だと思ってる)、今世の中でどんな映画が作られているのか、参考に知っておこうかなと思って珍しく見てみた。

はたして期待はしてなかったけど、これがほんとひどかった。 昭和時代の雑貨屋の店長が、悩み相談を手紙でやりとりするという内容なのだけれど、次から次へと、都合良く設定された感動させようとするだけの(感動の押し売り)ストーリーがオムニバス的に展開される。

こういう作品いっぱいあると思うけど、とにかく設定・プロット以外に何も伝わるものが無いんだよね。 『養護施設の子供を見舞ったらその晩火事になって、子供を助けるのとひきかえに亡くなってしまう。』 て書けば、もう映画を見たのと同じ。

見た後、どうしてこんなつまらない映画を作っちゃうんだろう、と考えた。

おそらく、原作はもっと描写のあるまともな作品なんだろう。 ヒットした原作を基にして、売れてる俳優そろえて、主題歌にいい曲持ってくれば映画はヒットする、と考えてるからなんだろうか。 何か伝えたいことがあって映画を作ってるんじゃなくて、映画を作って興行収入を得ることが目的。商業映画と言って片付けてしまえば、そうなのかもしれないけど。。

その時ね、ネットで見た小室哲也の引退のニュースを思い出した。

小室哲也のニュースは、引退とか不倫の話とかは全く興味無いけど、意外にも彼の話に共感した。 それは彼の、新しい音楽を作る自信が無くなった、枯渇したという告白だ。

売れていた時代は、ヒット曲をつくろうと思ってやっていたのではなく、好きな音楽をやっていたと。 それが、いつしかヒットメーカーのイメージとか、期待に応えなくちゃという意識の方が強くなってしまったんだろうね。

そして、今回自分が勝手に見た映画と結びつけたのだが、映画とか音楽とか小説って自己表現の場でもある、にもかかわらず、世の中のニーズに応えようとしすぎなんじゃないかと。

もちろん、今回のような商業映画は元々"売れる"ために作ってるのだから、売れさえすればOKなんだけど、 そうではなくて、いつの間にかそういうものに縛られてしまった人も多いんじゃないかと思う。

本来創作って、もっと自由であるべきなのにね。

ビジネスもそう。

マーケティングだの市場分析だの、競合分析だの、そういうものばかりやったところで、斬新で破壊的なビジネスは生まれない。