夜明け前

島崎藤村「夜明け前」を読みました。(青空文庫

長かった。。すごく読みにくいわけではないけれど、幕末から明治の人々の暮らしや考えが事細かに描写されていて、たいへんな長編である。

さすが名作だけあって、色々な書評があるので、立派な書評はそちらに譲るとして、何の知識も無い一俗人の感想を。

この本で終始テーマとなっているのは、主人公の半蔵が平田篤胤(平田派)から学んだ国学思想が王政復古への実現を果たしたように見えて、明治の文明開化によって裏切られていくさまである。 しかも西洋化という文明開化を推し進めたものは、尊王攘夷を声高にさけび、倒幕・王政復古を成し遂げた維新志士たちなのだからまた矛盾を禁じ得ないのだ。

ではなぜ国学は衰退し、脱亜入欧に突き進んだのだろう。

「夜明け前」では、明治以前の人々の暮らしとか風俗がリアルに描かれている。 半蔵は当時の農民というよりは庄屋なので特権階級であったが、それでも半蔵の父が病にかかると百度参りするしか無かったり、半蔵の子供(藤村の兄弟)も、何人か幼くして死んでいるし、藤村自身も栄養失調で子供たちを失っている。 つまり幕末から明治というのは、今では考えられないくらい文明が発達していない。

また飢饉などが来ると、隣村から融通してもらったり、年貢を軽くしてもらうための愁訴を実行したりするのだが、それ以上の根本的対策はなかなか組織的には行われない。大名や領主といった支配階級は支配階級で、人民の生産性を上げれば自分たちが得をするという発想もほとんど無かったようだ。

ところがそこに、西洋の知識が入ってくると、例えば馬鈴薯はやせた土地でも良く育つと言って広められ、多くの農民を救う。馬鈴薯は1600年頃には既に日本に入って来ていたにもかかわらず。 日本の農学は明治政府のもと1870年頃、アメリカから学者を雇い入れてようやくスタートする。

では明治以前、日本の学問とは何だったのか。メインはもちろん儒学である。孔子の教えである儒学とは一言で言うなら、徳で国を治める王道を説いたものである。

幕末に勃興した国学とは、その儒学を否定して、日本古来の思想や学問を目指そうという動きである。 国学は、本居宣長平田篤胤などが、「古事記」や「万葉集」を研究して体系化して完成させたとあるが、古事記万葉集を読んだことがあるだろうか? 日本人の思想にまで深く読めたと思っていないが、書いてあることと言えばだいたい、色恋沙汰と謀略謀殺、そして春夏秋冬もののあわれだけだ。

こういうことを考えると、やはり日本という国が明治維新まで長きにわたって高度に封建的であった(インドのカーストも同じだ)が故に、学問は完全に支配階級の所有物であって、人民のための学問というものが一部の医学を除いて、ほとんど発展しなかったのだろうと思う。

そうなると、当時の農民を始めとする人民にとって、日本古来の思想が何をしてくれるわけでもなく、飢えや病気から救ってくれる西洋文明と実験的・合理的な西洋思想を受け入れるのは当然の流れではないかと思ったのだ。