「老子」を読みました

論語」を読み終わり、いくつか孔子にまつわる本や記事を読んだ後に、老子を読んだ。

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老子道教の開祖で、本当のところは出生・死亡も詳らかでは無い、半ば伝説上の人物。 その老子が記したとされる『老子道徳経』から、その思想を紐解くしか無い。

で、今回読んでみて「良く分からん」というのが率直な感想というところ。

まず、道教についての知識が全然足りないということや、ただでさえ漢文で色々な読み方が可能な上に、文章が実践的でなくて抽象的過ぎるので意味が捉え辛いということ。 そして何より感じたのが、多分に宗教的だということだ。

アンチ儒家

道教のスタート(老子)は紛れもなくアンチ儒家である。なので当然儒家と良く比較されるのだけど、一つの区別として、少なくとも進歩主義・実践主義に基づいた孔子の考えが宗教では無いのに対し、老子の考えは宗教といっても良いと思うところ。 例えば、そもそも"道"が万物の根源で、ものごとが始まる前から存在するもの、と説き、道の道とすべきは常の道にあらず、つまり道というものが定義できたら、それは道では無いというのだ。うーん。 それから、赤子は柔弱だが、その柔弱さゆえに、決して蜂に刺されることも猛獣に襲われることも無いとか。知識を増やしすぎると、かえって迷いが生まれて良くないとか。

理性を頼りにする自分にとっては、こういう感性が先立つ世界はどうしても分からないのだ。 しかし、アプローチは違えども、共感できる教えも多くある。 小国寡民を理想とする考えや、足るを知ることが幸福にするとか。

道家を生んだのは

老子道徳経を読んだだけでは、中国において三大教と呼ばれるほど大きな位置を担うとは正直想像しがたい。 しかし、何はともあれ道教というものが発展した後漢以降の時代に、老子という存在に後から存在感が与えられたと思われる。 特に道教には、北魏や唐に代表されるように、無為の治や仏教への対抗として為政者が利用したり、病・災害に対するシャーマニズムの役目があっただろう。

ならば、老子の時代初期に、道家を増やしながらこのように発展し始めたのは、誰のどういったニーズによるものだったのか?を考え、 一つは、

  • 儒教武帝によって国教とされるなど、儒家が中央に取り入りエリート化していく時代にあって、非エリートの知識階級にとっての拠り所だったのではないか

(論理的裏付けよりも、理屈抜きの神秘的要素を端緒にして、儒家批判や儒家の君子像批判をしているから)

もう一つは、

  • 国家が中央集権化を推し進めるなかで、伝統的組織や産業の破壊が表層化していく時代における、地域社会を守るための拠り所だったのではないか

(文明批判、自然回帰の伝統主義的思想は、同じような時代背景に良く出てくるから)

などと回想してみた。

なお孔子老子の間で反対の思想が見えたのが、孔子が現実主義者であるのに対して、老子は理想主義者。 また、儒教は男尊女卑と言われる(論語では、512文のうち2文でそれに近い記述があるのみだが、後の儒教の広がりの中では確実にある)のに対し、老子道徳経は女性崇拝の思想が読み取れる。

でも、もうちょっと道教の知識を増やしてからまた読みたい。

論語を読みました

加地 伸行の訳注です。

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初めて論語の全文を読んだ。

論語はそれこそ誰でも知っている故事から、そこらじゅうにある名言集のような形で触れる機会があるけど、全編を読むことで初めて、儒教の開祖的な存在としてよりも、孔子の人間個人のらしさに触れた気がする。 どういうことかと言うと、孔子はどうやって君子たるべき教えを説いているが、論語孔子を聖人君子として奉っているわけでは無いということだ。

それは例えば、 「真に政治を任せられるのは誰ですか?」と聞かれて、優秀な弟子の名前をあれこれ挙げるけれど、結局全員にダメ出ししてしまったり、所詮奴らはワシには全然及ばんよ、と言わんばかりだ。意外と孔子は他人へのディスりは多い。(顔淵だけは認めている。若くしての死が物故者を伝説化するケースは多々あり、それかも)

また例えば、 武城で詩を歌っているのを聞いた孔子が、「こんな田舎町で詩をやるのは鶏を割くのに牛切り包丁を使うようなものだ」、と言ったことに対して弟子の子遊が「師が礼楽を大切にしなさいと言ったではありませんか」、と言い返すところで、「おまえが正しい。先ほどのは冗談だ」のように素直に過ちを認めるやりとりがある。

これなど孔子は全くもって成人君子として書かれてはいない。

人知らずして・・・

そして大いに感じさせられたのが、孔子の言葉で何度も形を変えて出てくる表現である。 「人の己を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う」 「位(くらい)なきことを患(うれ)えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきことを為すを求む。」 さらに有名な学而第一でも「人知らずして慍らず」が出てくる。

ここで孔子は繰り返し、人に自分の能力を認めてもらえなくても怒らず恨まず、自分の足りないところを反省して励めと説いている。 何故だろうか。

個人的に、これは孔子が自分自身への戒めとしたのだと思う。 孔子は良家に生まれたわけでは無く、魯の国で一度下っ端の仕事に仕官させてもらうが、それ以外は斉の景公に取り立てられそうだったが上手くいかず、自分の能力と名声からすると望むような仕官に付けないもどかしさが必ずやあったと思う。

それでも腐らず、人々に教えを説くことを命と信じて、時には言い聞かせて、深く人の心や物事を考え知ることに励んだのだと思う。

正直、今の自分の身に置き換えて一番考えさせられたのが、これらの言葉なのだ。

僕の知人が、老子と対比して孔子はエリート・成功者のための思想で、老子は落ちこぼれのための思想だ、というような事を言っていたけど、それは違うと思った。 確かに儒教啓蒙主義進歩主義に根ざすところは確実にあると思うけれど、エリートの為の思想かな?そもそも思想って悩みとかコンプレックスを始点にしているんじゃないかな?

好きな言葉

最後に凄いなと思わされた言葉が、 「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば即ち殆(あやう)し」 だね。

今でこそインターネットで何でも知識がすぐに手に入る世の中になって、物知りなだけではオンリーワンになれない、それだけでは役に立たない時代にいるけれど、当時のこの時代には、物知りなだけでも随分いい地位にいられたはずだ。 そんな時代にあって、知識だけで思想の無い学が意味の無いものだと、気づいて警鐘を鳴らすことが出来た感性に恐れ入る。

そして近年は、自分の思い込みだけで書かれた、時流に乗るだけのインスタントな啓蒙本がなんと多いことよ!

ということで終わり。次は老子を書きます。

EigenのOne Definition Rule違反

Eigenライブラリの利用法に関するバグで、丸二日間くらいはまった。 正しい原因にたどり着くのが難しいため、備忘録として残しておく。

Eigenは数値演算の高速かつ使いやすいライブラリで、かつtemplateを使ったヘッダファイルだけで構成されているため、あらゆる環境でビルドしやすく重宝されている。 最適化演算ライブラリのCeres, OpenCVなどでも使われている。

ところが、その有用性が徒となるケースがあった。

Eigenのようなヘッダファイルを使ったアプリケーションが実行時にクラッシュなどで落ちて原因が分からない場合は、今回のケースを疑ってみて欲しい。

エラー内容

今回遭遇したバグは、コンパイル・リンクは問題無いが、Ceres solverの最適化実行時にアプリがクラッシュ。 障害モジュールの名前:StackHash_**** 例外コード:c0000374 と出る(Windows) さらに、Linuxでビルドしたものも同じようにCeres solver実行時に落ちた。 最終的に解決したのだが、これは予想外の原因で落ちていたことが分かった。

原因

まず、C++にはOne Definition Ruleというものがあり、関数でも何でも同じ名前では定義(実装)は一つしか取れない。

One Definition Rule - Wikipedia

Eigenはヘッダファイルのみで構成されるおり、Eigenを使っているプログラム間で同じ定義が出来てしまう可能性がある。例えばEigenを使っているCeres solverのライブラリを使い、さらに自分で作った本体でもEigenを使っていると、コンパイルはライブラリと本体で独立に行っているため、同じ関数に二つの定義が出来てしまうことになる。 リンカエラーになるケースは良いが、今回はそうならなかったケースだ。

どういう状況で問題があるかというと、

  1. バージョンの異なるライブラリ(今回はEigen)を複数インクルードしていて、そのバージョン間でコードが異なっている時

  2. バージョンは同じライブラリ(Eigen)を複数インクルードしていて、インクルードしたそれぞれの呼び出し間で、コンパイルに関わる環境が変わっている時

今回自分のケースは2だ。Eigenを使っているCeres solverライブラリをビルドし、Ceres solverを使っている本体側でもEigenを使っていた。

独立にビルド済みのライブラリを使っている場合は、リンク時に一つのライブラリインスタンスしかリンクしないので通常問題にならない。

同じバージョンのEigenを使えば問題無いかと思っていたら、本体側のコードでAVX命令を使っているため、本体側のみがコンパイラオプションとしてAVX有効にしていたために起こった。

実はEigenのコードは、AVXやSSEといったSIMDコンパイルオプションが設定されていると、高速な実装のためにSIMD命令を使うのだが、その際メモリアロケーションを自前で書いたものを使うようになっている。 それが、Core下のutil\Memory.hに定義されているもので、handmade_aligned_mallocという関数をインラインで定義している。 SIMDを使ったことが無い人にはチンプンカンプンかもしれないが、これはSIMD命令を使うときに良く使うテクニックで、SIMD命令に必要なメモリアラインメントを揃えるために大きめにmalloc()しておいて、アラインメントされたポインタを返すというものだ。解放する時は演算に使ったポインタではなく、ちゃんと元のmalloc()したポインタを使ってfree()しないといけない。

/* ----- Hand made implementations of aligned malloc/free and realloc ----- */

/** \internal Like malloc, but the returned pointer is guaranteed to be 16-byte aligned.
  * Fast, but wastes 16 additional bytes of memory. Does not throw any exception.
  */
inline void* handmade_aligned_malloc(std::size_t size)
{
  void *original = std::malloc(size+EIGEN_DEFAULT_ALIGN_BYTES);
  if (original == 0) return 0;
  void *aligned = reinterpret_cast<void*>((reinterpret_cast<std::size_t>(original) & ~(std::size_t(EIGEN_DEFAULT_ALIGN_BYTES-1))) + EIGEN_DEFAULT_ALIGN_BYTES);
  *(reinterpret_cast<void**>(aligned) - 1) = original;
  return aligned;
}

/** \internal Frees memory allocated with handmade_aligned_malloc */
inline void handmade_aligned_free(void *ptr)
{
  if (ptr) std::free(*(reinterpret_cast<void**>(ptr) - 1));
}

解決方法

この二つの実装の齟齬によって今回のAppCrushは引き起こされた。 解決策は以下である。

Windowsの場合、ライブラリをDLLにすることで、Exportされた関数以外は外からは見えないのでconflictが起きない。 Linuxの場合や静的ライブラリを使いたい場合は、万事ハッピーな解決策はあまり無くて、Eigenをバージョンが全く同じで、同じコンパイル環境でビルドする。 もしくは、別のバージョンを使いたければ、それぞれのEigenに異なるnamespaceを付けることだ。

以下が参考になる。

http://eigen.tuxfamily.narkive.com/fweQWUaX/eigen-and-the-one-definition-rule

夜明け前

島崎藤村「夜明け前」を読みました。(青空文庫

長かった。。すごく読みにくいわけではないけれど、幕末から明治の人々の暮らしや考えが事細かに描写されていて、たいへんな長編である。

さすが名作だけあって、色々な書評があるので、立派な書評はそちらに譲るとして、何の知識も無い一俗人の感想を。

この本で終始テーマとなっているのは、主人公の半蔵が平田篤胤(平田派)から学んだ国学思想が王政復古への実現を果たしたように見えて、明治の文明開化によって裏切られていくさまである。 しかも西洋化という文明開化を推し進めたものは、尊王攘夷を声高にさけび、倒幕・王政復古を成し遂げた維新志士たちなのだからまた矛盾を禁じ得ないのだ。

ではなぜ国学は衰退し、脱亜入欧に突き進んだのだろう。

「夜明け前」では、明治以前の人々の暮らしとか風俗がリアルに描かれている。 半蔵は当時の農民というよりは庄屋なので特権階級であったが、それでも半蔵の父が病にかかると百度参りするしか無かったり、半蔵の子供(藤村の兄弟)も、何人か幼くして死んでいるし、藤村自身も栄養失調で子供たちを失っている。 つまり幕末から明治というのは、今では考えられないくらい文明が発達していない。

また飢饉などが来ると、隣村から融通してもらったり、年貢を軽くしてもらうための愁訴を実行したりするのだが、それ以上の根本的対策はなかなか組織的には行われない。大名や領主といった支配階級は支配階級で、人民の生産性を上げれば自分たちが得をするという発想もほとんど無かったようだ。

ところがそこに、西洋の知識が入ってくると、例えば馬鈴薯はやせた土地でも良く育つと言って広められ、多くの農民を救う。馬鈴薯は1600年頃には既に日本に入って来ていたにもかかわらず。 日本の農学は明治政府のもと1870年頃、アメリカから学者を雇い入れてようやくスタートする。

では明治以前、日本の学問とは何だったのか。メインはもちろん儒学である。孔子の教えである儒学とは一言で言うなら、徳で国を治める王道を説いたものである。

幕末に勃興した国学とは、その儒学を否定して、日本古来の思想や学問を目指そうという動きである。 国学は、本居宣長平田篤胤などが、「古事記」や「万葉集」を研究して体系化して完成させたとあるが、古事記万葉集を読んだことがあるだろうか? 日本人の思想にまで深く読めたと思っていないが、書いてあることと言えばだいたい、色恋沙汰と謀略謀殺、そして春夏秋冬もののあわれだけだ。

こういうことを考えると、やはり日本という国が明治維新まで長きにわたって高度に封建的であった(インドのカーストも同じだ)が故に、学問は完全に支配階級の所有物であって、人民のための学問というものが一部の医学を除いて、ほとんど発展しなかったのだろうと思う。

そうなると、当時の農民を始めとする人民にとって、日本古来の思想が何をしてくれるわけでもなく、飢えや病気から救ってくれる西洋文明と実験的・合理的な西洋思想を受け入れるのは当然の流れではないかと思ったのだ。

東大医学部 その2

同級生で東大医学部に行った友人二人目の話。

その彼も小学校の塾から一緒だった。つまり、一人目の彼ともみんな同じ塾出身だ。 その後中学・高校も同じで、長い付き合いだったので本当に仲のいい友人だった。

そして大学で進路は分かれた。彼は東大の理Ⅰに合格し、自分は東大に落ちた!

おや、理I?医学部は理Ⅲでは?と思われるかもしれない。

実は東大は1年目と2年目途中までの成績と、学生の志望を元に、三年生で進学する部科が決まる。 そして東大医学部は、理Ⅲのみならず、少数ながら理Ⅱや他科からも進学できる。

例えば2016年でいうと、64人を理Ⅲから(理Ⅲからは、志望すればほぼ無条件で行ける)。10人を理Ⅱから。3人を他の全科から取る。という内訳になっている。結果、3人の枠を争う理I、文科が最も高い点数が必要となる。

そのあたり以下のサイトに詳しい。 https://todai.info/shinfuri/medical.php

友人は東大に入った後一念発起し大学で勉強して(東大に入った時点で既に十分に勉強したのだが)、一年留年はしたものの、進振りで医学部に進んだ。 そして、元々子供好きだったのもあり、今は小児科医をやって超忙しい日々を送っているそうだ。すごい!

彼の性格はというと、小さいころから考え方が大人びた人間で、シニカルなおぼっちゃんという感じ。ガリ便では無いけれど決して道を踏み外さないタイプ。 でも、ゲーセンなんて不良の行く場所だと思っていた若き中学生の自分を、ゲーセンに連れ込んでくれたのは彼だ。

そのくせに、結局私の方がゲームにはまって、青春をゲーセンに捧げていると、「まだゲームなんてやってるの?」と突っ込んでくれたのも彼だ。 そんなシニカルな面はあれど、とにかく性格が良くてまっすぐな人間だった。

子供のために難病とも戦う彼にエールを送りたいです!

<備忘録> OpenCVのVisual Studioビルドにハマった件

OpenCV 3.0をVisual Studio2013でビルドしたものを使っていたが、Visual Studio2015に環境を変えたいので、VS2015でもビルドした。

無事ビルド完了し実行したのだが、RELEASEビルドが"BEX64 例外コードc0000417"で実行時に落ちる。 DEBUGビルドを実行すると、OpenCVの特徴点Matcherを呼び出した時に得た、マッチング結果の解放時に落ちている。

これはいわゆる、ライブラリとアプリケーションのランタイムの不整合が原因だなと思ってソリューションを見直してみたが、ランタイムはともにマルチスレッドDLLで違い無し。 どうもVS2015から、CランタイムのDLLがユニバーサルCRT(ucrtbase.dll, ucrtbased.dll)に変わったらしく、これが当初バグを含んでいたらしい。(この記事が詳しい)

https://dev.activebasic.com/egtra/2016/04/19/878/

ということで、検索結果にしたがってランタイムを正しいものに更新。するとDEBUGビルドは直ったのだが、RELEASEビルドが直らない。

DependencyWalkerで探ってみても、アプリとOpenCVとで呼び出しているランタイムは全く同じに見える。

結局、VS2013のアンインストール、VS2015の修正などさんざん試行錯誤したあげく、試しにOpenCV3.1.0をビルドしてリンクするとエラーが無くなった。 公式のビルド済みバイナリも、VC14バージョンの提供はOpenCV3.1.0からだから、OpenCV3.0 と Visual Studio2015(VC14)に問題があったのかな?それともOpenCVも全てソースからビルドしているわけでは無いので、ビルド済みバイナリのどれかが問題になったのかもしれない。

というわけで、使っているAPIが全て問題無く動作することを確認した上で、OpenCV3.0.0を捨てて3.1か3.2に移行する予定。

結論

ビルド&テスト済みのバージョンの組み合わせ以外は疑ってかかるべし

追記

OpenCVVisual Studioビルドでハマッタ時のレシピ 基本的には、以下の手順でビルドできます。

  1. OpenCVソースコードOpenCV libraryから取ってくる
  2. CMAKEでビルドする
  3. 作られたslnファイルを開き(Visual studio起動)ビルドする
    • DEBUGもしくはRELEASEで、ALL_BUILDを実行する。INSTALLをビルドすると、指定したinstallディレクトリにバイナリとincludeファイルをコピーしてくれる
ビルド失敗ケース
  1. CMAKEのconfigureが失敗する
    • プロキシ認証がある環境だと、ippicvやffmpegなどの3rd party製バイナリをダウンロード出来ずにhashチェックで失敗することが多い。この場合アドレスを調べ、手作業でダウンロードし、必要なディレクトリにコピーする(必要な場所はCMAKEに表示される)
  2. ビルドは成功したものの、実行時に落ちる
    • 一番多いのは、ライブラリのビルド時と、アプリケーション側のビルド時の設定が異なっているケース。まずはランタイムライブラリがちゃんと同じになっているか確認する。(マルチスレッド・マルチスレッドDLL・マルチスレッドデバッグDLLなど)
    • バージョンの組み合わせを疑う

スマホと会話

毎週子供をスイミング教室に連れて行っている。 そのスイミング教室に、上の子が習っている間、下の子を連れてきて待っているお父さんがいる。

その父親、待っている間いつもスマホでゲームをやっている。下の子がお父さんに話しかけてもゲームに夢中で応えないし、下の子がスマホを覗き込んで掴もうとすると、不機嫌にしかりつけるのだ。

最近はこういう光景が至る所で見られるようになったのだが、なんとも寂しい気分になってしまう。 先日外食にいった際などは、子供3人連れた5人家族がいたが、食事が出るまでずっと親はスマホゲーム、子供が3DSをやって待っていた。

彼らにとって子供とはどういう存在なんだろうか。 子供に夢を見ないのだろうか。子供は情熱を注ぐ対象では無いのだろうか。自分の経験を伝え人生の楽しさを知らしめ、大きく羽ばたいて欲しい存在では無く、それはただの義務なのか。

親が子供でしょうがない。。